レトロスペクト・アメリカ


Vol. 42 西部への旅、其の二」 の巻


日本に 一時帰国で 2週間 滞在した ワタシ。
今度は、母と 母の友人 Tさんと 3人で アメリカに 戻って来ました。


12月 17日の事です。


最初は Mタウンに 一泊し、スグに NYCへ。
Tさんが 行った事が 無かったからかな? 何故 NYCに 行ったのかは 不明 (爆)。

ニュージャージーに有った ヤオハンの 駐車場に 車を駐めて、ヤオハン ・ バスにて マンハッタンへ。

確か、色々 観て回ったんですがーーー。
エンパイア ・ ステート ・ ビルディング とか、チャイナタウン とか、色々 行ったんですがーーー。

なんせ、写真も 見付からないので、あまり 「 何処へ 行った 」 とか 覚えてない ワタシ (汗)。

マンハッタンを 観て回った後、またまた ヤオハン ・ バスにて ニュージャージーに戻り、その日は モテルで 一泊。

翌日、ロチェスター経由で ナイアガラの滝へ ( ← またや (汗) )。
やはり、見た事の無い Tさんに 見せてあげないと。。。

Tさんってのは、この時 母が 「 付き合ってた 」 と 言うか 「 再婚するかも 」 って 人だったのです。
良くして 置かないとね (爆)。

ナイアガラでは スカイロン ・ タワーの てっぺんの レストランで 食事をして、滝の見える ホテルに 泊りました。。。が、滝の シブキのせいで、翌日 ワタシの スージーは 厚さ 1cmもの 氷に 覆われていたので、仕方が無いので ブーツで ガンガン叩いて 氷を割って 車に乗り込んだ 我々 (汗)。

クリスマス ・ イブは ホスト ・ ファミリーと 過ごし、その夜から またまた 強行軍な 旅行の 始まりです。


12月 25日。
この日は、アメリカ母の 誕生日なので、お祝いをする。

その後、我々は、サウス ・ ダコタ州を 目指し 出発。
夜中の 12時である。

なぜ サウス ・ ダコタか???
それは、かの有名な 大統領の顔が 4つ並ぶ 岩壁が 有るから。。。って、コレしか 無い州なんですけど (汗)。

ペンシルベニア、オハイオ、インディアナ、イリノイ、ウィスコンシン、ミネソタを 走り抜け、サウス ・ ダコタに 到着ーーー! 20時間以上は 走ってたな (汗)。

この日は Rapid City の モテルに 泊る。


12月 27日。

母 念願の、Mount Rushmore National Monument へ。

行ってみた 感想ですがーーー。
思ってたより、小さい。。。

多分、近寄ると スゴイ 大きさなんでしょうが、この モニュメントの ビジター ・ センターから見ると、スゴク 小さく見えるんですな。

一通り 観た後、今度は 南下を始めました。
Black Hills を通り、Hot Springs と言う 町を通り、Wind Cave National Park へ。

ここ、野生のバッファローが居るんです。
あまり 近くへは 寄れなかったけど、結構 沢山の バッファローを見ました。

その後、吹雪の中 ワイオミング州を 走り抜け、コロラド州の フォート ・ コリンズへ。
ここでも モテルに 宿泊です。


12月28日。
モテルの 受付の人に 「 雪で 道が 閉鎖されてるかもよーーー」 なんて 言われながら、ロッキー越えです。

この道、本当に ロッキー山脈を 越える道でして、普通の車だと 雪にはまって 大変な事になりそう。。。実際 我々が 走ってる道端に、はまって 動けなくなってる車が 数台 居ました。

こんな時、頼りになるのは 4WDの スージー♪ ( ← いすゞの Trooper ( 日本だと Big Horn ) です )
「 こんなの、屁でも 無いわっっ 」 って感じで スイスイ 走り抜けてくれました (笑)。

コロラドを抜け、ユタに入り、まず 向かったのが Arches National park です。
ここは、前回 ワタシが 1人で 西部の旅をした時に、物凄く 気に入って 「 是非、母にも 見せたい!」 と 思った 場所。

Tさんは 少し お疲れだったので、Moab ( 最寄の町 ) の モテルで 待っててもらい、母と 2人で Delicate Arch を 観に行きました。

アーチの下に有る スリ鉢状になっている場所に 下りたのは 良いのだけど。。。あれ? 登る場所が 無い (汗)。 

でも、後戻りをして 同じ場所に行くのは イヤだったので、ワタシは 自力で 登る事に。。。この時点では ロック ・ クライミング なんて やった事も 無かったのだけど、平気で 登れたなーーー。 

しかし、母は スニーカーしか 履いていなかったので 足がかりが 無い。
仕方が無いので、ジャケットを脱いで ロープ代わりにして 母を 引っ張りあげる ワタシ。

変な 親子だ (爆)。

歩き始めたのが 夕方だったので、素敵な 夕焼けも 観れたのですがーーー。
車に 辿り着く前に、暗くなっちゃいました (汗)。

コヨーテとか 鳴き出しちゃって。。。やばい、やばい。


12月29日。
朝から Tさん も連れて、再び Arches へ。
Tさん は 沢山 歩けないので ( ← 70歳 ) 近くに 車を駐める事が出来る Windows と言う アーチを見る。

それから、またまた 南下して モニュメント ・ バレーを 通り、真夜中に 通るはずでは無かった ザイオン ・ ナショナル ・ パークを 通り抜け ( ゲートが 無いので、通り抜け 出来るのです )、辿り着いたのは ラス ・ ベガス !!!

ラス ・ ベガスの 市中に着く前に、丘の上から 眺めたのだけど。。。スゴイ 『 光の海 』 だわーーー。
さすが 『 眠らない 街 』 である。

ホテルに チェックインしてから、Tさん は また お疲れだったので 母と 2人で メイン ・ ストリート を ウロウロする。 

テレビで見た事が有る 有名なホテルが 目の前にーーー!
って、そこで ショーを見たり ギャンブルをする余裕は 無いので、通り過ぎるだけ (爆)。

小さな カジノに入ってみて、25セント硬貨で ポーカー ・ マシンに 賭け出す ワタシ。
最初は 勝った分の 半分だけを 次回に賭けるという やり方をしていたのだけど、結局 3ドル負けて 「 やーめたっっ 」 と 諦める。

ギャンブラーには なれないな。。。(笑)。


12月30日。

ラス ・ ベガスから フーバー ・ ダムを 通り、グランド ・ キャにオンへ。

フーバー ・ ダム、凄かったーーー。
もう、気持ち悪くなる位、高いの。。。 ぞぞぞっっ

グランド ・ キャにオン
は、辿り着いた時は 夕方だったので、少しだけ 眺める。
夕焼け空の 写真が撮れて、ワタシは 満足ーーー!

その夜は、再び ホテルに チェックイン。


12月31日。
スゴイ 早起きをして、グランド ・ キャにオンの 朝日を見に行く。。。が、ワタシは カメラを 忘れる(涙)。 

カメラマンに あるまじき 行為である (爆)。

でも、朝日に 間に合うためには ホテルに カメラを取りに行っている時間は 無いので、母の ビデオカメラに 任せる事に。 綺麗でした。 どこかに ワタシが 「 カメラ 忘れた カメラマンです。 アホです。」 とか コメントしてる ビデオが 残ってるはず。。。(涙)

ホテルを チェックアウトして、フラッグ ・ スタッフ で ランチを食べた後、一路 フェニックスへ。
この道程は、大体 2時間位しか かからないのですけどねーーー。

前回 お世話になった U君宅へ 向かったのです。
この日は 大晦日と言うのもあって、U君の働く 日本食レストランで 年越ソバを いただく事に!

この夜も お疲れだった Tさん。
近くの モテルに チェックインして、ワタシと 母は U君宅にて 話し込む。

帰って来たら。。。Tさんが 激怒している。
しかも、怒ってるだけならともかく、母に 怒鳴り散らしているっっ

話を聞いてみると。。。
どうも、年越しで 酔っ払った 現地の人が モテルの ドアを ドンドン 叩いたので 怖かったのだそうだ。

確かに、我々の 帰宅 (?) も 少し遅かった。
でも、母を 怒鳴り散らす事は 無いではないかっっ!


1月1日(1998年)
Tさんが 「 わしゃ、もう帰るっっ 」 と 言うので、空港へ 連れて行く。
いくら 『 母が 再婚するかも知れない 相手 』 とは 言え、前夜の様な 怒鳴り散らかし方を する人とは 旅行できない。 

帰りたいのなら 帰れば良いのだ。

空港の カウンターに行って見るも、さすがに 当日のチケットは 取れなかったので ( 元旦だし。。。)、翌日の チケットを 何とか取ってもらう。 勿論 支払は Tさん 本人。 どうも 「 クレジット ・ カードは 信用ならん 」 と 言う人で、なんと 日本円で 現金を ごっそり 持って来ていた。。。どうせ持ってくるなら、日本で 換金してこようよ。。。(汗)。

Tさんの 相手をしているのも 嫌だったので、彼を 空港近くの ホリデー ・ イン に チェックインさせ ( 前夜の モテルは 「 安いから あんな目に 遭った 」 と 言うので、「 高くても 良いから 」 と 言って 無理矢理 部屋を取った )、ワタシと 母は U君 家族と共に フェニックスに出来た 新しくて 大きな ショッピング ・ モールへ。 

なかなか 楽しかったかも。


1月2日。
Tさんを ホリデー ・ インに 迎えに行き、空港へ送る。

フェニックスから 日本への 直行便は無い。 
もう 何処で 乗り換えだったか 忘れてしまったけど、とにかく LAだか サンフランシスコだかで 乗り換えをしたのだと 思う。

Tさんは、英語が 全く 出来ないので、航空会社の 係員に 無理を言って 「 病人と 子供のみ 」 が 付ける バッジをもらう。 これを 付けていれば、どの空港で 乗り換えをしても 係員が 助けてくれるのだ。

「 絶対に、目立つところに 付けておいてね 」 と 念を押し、ワタシと 母は 空港を去る。

言ってみれば 『 冷たい 親子 』 であるが、ワタシとしては 母は 守らねば。。。


1月3日。
U君 家族と 5人で サン ・ ディエゴ に 向かう。

途中、スゴイ砂丘になっているところに 遭遇した。 
沢山の人が 4輪バギーで 走り回っている!

サン ・ ディエゴ 自体には 寄らず、そのまま ティワナへ。
メキシコ である。

前回は、ビザの関係で 国境までしか 行けなかった ワタシ。
念願の メキシコ 入国ーーー!

ティワナは 観光化されているので、あまり メキシコっぽく 無いのだろうけど、ワタシは 好きでした。

国境を 越えたところに 物乞いの 親子が居て、ちょっと 悲しかった。
表通りは キラビヤカで 観光客ばかりだけど、少し 裏に入ると 「 あ、ここは 危ない 」 って言う 雰囲気。

レストランにて、マルガリータを 飲む。
「 メキシコの水は 飲んじゃだめだよ!」 って 言われていたのだけど、ワタシは 冷たい ドリンクが 好きなので、結局 氷入り (爆)。

観光客 相手の 余興なんだろうが、レストラン内にて 『 人間 シェーカー 』 を やってる人が 居たので、母を エサにしてもらう事に (笑)。

人間 シェーカー 』 とは。。。
ウェイターが 後ろから 客を 押さえつけ、口に テキーラを ストレートで 注ぎ込み、頭ごと ブンブン シェイクするのである。

見ていた間も ワタシ達 大爆笑だったけど、終った後の 母の コメントに もっと 爆笑。
「 全然 平気だよ!」 だそう。。。 これだから、飲兵衛は (爆)。

ティワナ 観光の後は、カリフォルニアに 戻り パーム ・ スプリングス 方面へ 走って 途中の モテルに 宿泊。


1月4日。
突風の 吹き荒れる パーム ・ スプリングス 近くの、風車の群れを 見てから フェニックスへ戻る。


1月5日。
U君 家族に お別れをし、アリゾナを 出発。

途中 Sedona にも 寄る。
ここは、Red Rock State Park と言う 州立公園が 有るところ。 綺麗です。

また、夕方に Meteor Crater と言う アメリカ最大の 隕石落下によって出来た クレーターを 見に行くも、ちょっと 時間が遅くて 入場不可 (涙)。 でも、スゴク 綺麗な 夕焼けが見れたので OKとする。

この日は ニューメキシコの Gallup と言う 街まで走り、モテルに 泊る。


1月6日。
ニューメキシコの アルバカーキにて 市内観光。

古代の ネイティブ ・ アメリカン ( アナサジ ) が 残した 壁画群を 見に行ったり、アルバカーキの オールド ・ タウンを 観て回ったり。 ワタシが 前年に行った ホーク ・ ウォッチの サイトにも 母を 連れて行った。

その後、ターコイズ ・ トレイルを 走って サンタ ・ フェまで行き、市内観光をしてから ニューメキシコを 後にする。

雪の中 オクラホマを走り、途中の レスト ・ エリアで 母と 2人で 野宿。


1月7日。
オクラホマ、ミズーリ、インディアナを走り、またまた レスト ・ エリアで 野宿。


1月8日。
インディアナ、オハイオを 走り、ワタシの 働いていた スタジオへ。
ボスの家にて 泊る。

多分、母は 「 なんでーーー?」 って 思っていた事であろう。
娘との 結婚を チャラにした男の 母親の 家だしなーーー(爆)。


1月9日。
やっと Mタウンに 帰る。
少し 休憩。


1月10日。
日本へ帰る 母を 送りに ピッツバーグへ。


。。。と、なんか スゴイ旅を したんですけどーーー(笑)。
ワタシは、これで また 3ヶ月の ビザが切れる ギリギリまで Mタウンに 居候させてもらう事に。



引き上げ引越しと一時帰国レトロスペクト・アメリカ トップ無念、全面引き上げ