レトロスペクト・アメリカ


Vol. 37 ウェディング・フォトグラファー」 の巻


『ウェディング・シンガー』の方がカッコイイよなぁ、響きとしては。

でも、儲かるのはウェディング・フォトグラファーなのであります(笑)。 ワタシのウェディング・フォトグラファーとしての出発点は、まだAIPに居た頃のフリーランスです。同じ学校に居た友人が頼まれた結婚式のアシスタントとして出掛けたのが事の始まり。その頃は結婚式と言うのも殆ど行った事も無く、珍しい限りで、フィルムを替えたり器材を運んだりしながらも「ふぅ〜ん」などと感心していたものです。

次に来るのが、AIPを卒業した後に入ったスタジオでのお仕事。大体「ポートレイト・スタジオの収入の半分位は結婚式で賄われている」と言っても過言では無い程、結婚式と言うのは他のポートレイトの仕事と比べて割の良いものですから。このスタジオに居る頃も、アシスタントに徹してましたねぇ。アシスタントと言っても、ここでは時給$10もらってましたから、そう悪くも無い。このスタジオはピッツバーグでも有数のお金持ち地域に位置し、顧客の殆どが上流社会(お父さんがイワユル大企業や大銀行にお勤めだったり、由緒正しいお家柄だったりするわけ)の方々。と言う訳で、結婚式も『きらびやかぁ〜』なのです(笑)。

式の殆どはピッツバーグでも有名な、大きな教会で行われ、披露宴はゴルフクラブやぉ高いバンケット・ホール等で行われる訳です。お金持ちと言うのは真にお金に関してハッキリしていらっしゃって、結婚式でもお客さんには素晴らしいご馳走が出たりするわけですが、我々フォトグラファーに対しては「使ってあげてるのよ」と言うのが目に見えており、皆さんが素晴らしいお食事をしている横で、銀色のフードカバーをかぶって出てきたクラブハウス・サンドイッチを食べていたりするわけです(笑)。

一般的なアメリカの結婚式の撮影順序としては、まず始めに新婦のお宅に伺い、ドレスに着替えるところから、新婦の家族や友達と共に写真を撮り、そこから教会なり公園なりの式場に移動します。式が始まる前に新郎とその家族の写真を撮ってしまい、式の最中は式を執り行う責任者(神父さん、市長さん等々)の指示に従って撮影します。大抵は自由に動き回れますけどね。宗教によって式の進行状況が違うので、それは把握しておいた方がよろしいと。キリスト教で言えば、概してカトリックの式は1時間位と長く、プロテスタント系は長くても20分程。ユダヤ教は新郎がハンカチに包んだグラスを踏み潰すところを逃してはならないし、人前式は人それぞれバラエティーに富んだ式をするけど大抵は15分くらいで終了です。

式が終わると、ウェディング・フォトグラファーは本格的な撮影にとりかかります。両家の親族全員の入った写真から始まり、徐々に必要の無い人間を減らして行き、最終的には新郎・新婦だけで式場で撮影を行い、リクエストがあればロケーションを変えて色々なポーズで写真を撮って差し上げるのです。私は未だに日本の友達にもやらせたりしますが、日本人が見たら「はっずかしぃ〜」と思うようなロマンティックなポーズが殆どです。ポーズ・写真が終わると、他の客を待たせてある披露宴会場へと急ぎます。新郎・新婦が入場する前にケーキやテーブル・セッティングの写真等を手堅く押さえ、親族や友人のスピーチを始めとし、食事の後はケーキ・カットやブーケ投げ等の主要イベントを終わらせ、テーブル毎のゲストの写真やクレイジーなダンスの写真等を撮り終えた辺りで新郎に新婦を抱きかかえてもらい、退場シーンを押さえた辺りで撮影も殆どお開きです。新婦の家に大体昼の12時頃スタンバイするとして、ここまで来るのに平均して夜の9時、10時。時には真夜中に引き上げなんて言う事も有る、結構な重労働をしているわけです。

さてさて、ワタシの経歴に戻りましょうか。『28-就職活動の巻』でも書いた様に、このお金持ち相手のスタジオはすぐに辞めてしまったので、フリーランサーになったワタシはAの母Dの元でウェディング・フォトグラファーのアシスタントとして2・3ヶ月に一度の割合でアルバイトを始め、結果「働きやすさ」と腕を買われて96年の冬、見事採用となった訳です(自分で言うかぁ???)。

Dのスタジオ入りしてからは、他のポートレイトの撮影に加え、殆ど毎月2・3回の割合でアシスタントをこなし、着々とウェディング・フォトグラファーとしての腕を伸ばし、Dが既に結婚式の予約が有る日などはワタシ一人でも撮影に出掛けられるほどに成長して行ったのでした。

あぁ、メデタイ。



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