レトロスペクト・アメリカ


Vol. 31 東京商店」 の巻


『東京商店』と言うのは、ピッツバーグ唯一の日本の商品をメインに扱っているTokyo Japanese Food Stores, Inc.の事です。この店は80年代半ば頃から営業しており、ピッツバーグの日本人コミュニティーには大変重宝されているお店なのですが、私は個人的にこのお店には大変お世話になりました。

前回の「里帰り」をする直前、フリーランスでは余り定期的な収入が無く、かなり焦っていた私に朗報が入ります。「Tokyoで従業員募集してるよ」と言う友人Yの情報。Tokyoの商品は殆どが輸入品であるが故に、普通のスーパーで扱っているアメリカの食品と比べればかなり高価。そんな訳で、それまでの私はお店にも殆ど近寄らなかったのですが、チョクチョク出入りしている彼女の情報に私は飛びつきます。履歴書を記入して(勿論日本語)お店に直接出向いた所、10分程話をして「じゃ、来週から来てね」と言う事になったのです。『祝採用!!』 (←注:ビザ有り)

里帰りをするまでの1ヶ月半程は、殆ど見習い状態。で、帰国した3月からも継続で雇って頂けたと言う、幸せ者の私。お仕事としては、日本のコンビニと余り変わりません。商品補充や総入れ替え、掃除にレジ打ち(バーコードではないのでテンキーを使います)、etc. 普通のコンビニと少し違う所は、ビデオレンタルもやっていると言う所かしら。日本の番組や映画を録画販売している会社から買い取ったビデオを1本1泊1ドルでレンタルしてるのです。このお値段はかなり嬉しい価格でしょ。

朝のシフトに入る人は、お弁当作りにも参加します。定休日の月曜日以外は、日によって平均20食、多種多様なお弁当、それに加えて、お惣菜、おにぎり等々を毎朝作るのです。開店は朝10時。学生だった私は平日の朝の状況は余り良く知りませんが、週末は朝から結構お客さんが来てましたね。『ピッツバーグ唯一』と言う事は、近郊都市にとっても貴重な存在であったTokyo Foodです。車で2時間程かけて買い物に来るお客さんも少なくはありませんでした。

日曜日は日本人学校が開催される日なので、午前中と午後と二度の波が来ます。日本人学校と言うのは、日本人協会と日本政府(文部省)が協力して開催している補習校の事で、アメリカに(又はその他海外に)住んでいる赴任者の子女が日本に帰国しても勉強面で困らないように日本語で勉強をバックアップするシステムです。それはともかく、日曜日には子供を学校へ送ってそのまま買い物に来る親たちの第1波と、授業後に子供を連れて来る第2波が訪れる訳です。

午後の仕事は基本的に商品補充とお掃除です。毎月2回程、トラックで輸入の食品(乾燥、冷凍、缶詰、米etc.)が運び込まれ、又、毎週決まった曜日に空輸されて野菜やお魚をJさんが空港に取りに行きます。。Jさんと言うのは元寿司職人オーナーの事で、お店に出しているお刺し身類は全て彼がさばきます。さばいたお魚や仕分けたお野菜のラップと品出しを我々バイトがするのでした。

Jさんの奥さんのMさんは、元スクールメイツの元気イッパイ、笑顔イッパイの肝っ魂カァチャン的な人です。東京で出会って結婚した寿司職人のJさんに連れ添って、アメリカくんだりまで来てしまい、数々の出来事もモノともせずに頑張る女性です。 私がTokyoで働かせてもらっていた頃は、バイトの人数がかなりの物でした。全部で9人位...すごいなぁ。そのメンバーが取っ替え引っ替えのシフトで回っていたのです。大体毎日午後の部と週末の午前中は2人だったと思うけど。あと、トラックの来る日は人数多かったなぁ。

Tokyoのバイトはお食事付です。朝のシフトはランチが、昼のシフトはランチと夜ご飯の両方が出ます。メニューは日によりけりですが、前日のお弁当の残りであったり、カップラーメンであったり、でも大抵の場合は仁さん・ミミさんが腕を振るって作ってくれたものでした。特別メニューは「外食」!! お寿司屋さんや中華料理、果てはイタリアンまで、仁さんの気が向くと仕事の後に良く連れていってもらったものです。

外食も好きならパーティーも好き...という訳で、Jさん・Mさん宅にはバイトのメンバーや他の日本人コミュニティー・メンバーが手料理を持ち寄り、クリスマスや誰かの誕生日の度に集まる事が多々ありました。 そんなこんなで、学費だけを出してもらうと言う私の大学時代は、Tokyo Foodのおカゲでやって行けた様なモノだったのです。貧乏学生の借金にも「利子無し」で快く応じてくれたMさん、どうもありがとう(笑)。

かの『地球の歩き方』にも載っているTokyo Food、Jさん・Mさん、元気でやってるかなぁ....?



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