「里帰り」ったって、どうして里帰りしたんだっけなぁ?
でも、私は卒業式の後もアメリカに残る事を決めちゃいましたから、日本へは2年ちょっと帰っていなかったんですねぇ。でも、この里帰りも半分以上ビザの為だった様な気がして来た...今考えると(笑)。
今回の里帰りは何と当時既にお付き合いをしていた、A(VOL.27に登場)同伴です。 フリーランサーとしてやって行く事に少し限界を感じていた私は、「どうせなら大学に編入してしまえ」と言う甘い考えに走り、とりあえず里帰り前に大学の編入許可取得しました。と言う訳で、里帰りの第一目的はビザを再び学生ビザに戻すと言う事であり、それに加えて父親に「生活費は何とかするから、学費だけ出して下さい」と頼み込もうと言う魂胆です。 他の留学生の皆さんと比べると里帰り回数が少ない(年に2回も里帰りしてた留学生(勿論日本人)を私は知っている)私は、飛行機にそれほど何度も乗った事がある訳ではありませんでしたが、Aは飛行機に乗るのはこれが生まれて始めてと言う訳で、かなりビビりが入っておりました。しかも雪深いピッツバーグ、2月末ではまだかなり寒く、離陸を待っていた私達の飛行機に対するアナウンスが...「ピン・ポン・ポン・ポォ〜ン♪只今、当機はエンジンに不良をきたしておりますので、調整が終わりますまで今暫くお待ち下さい...云々」(笑)。そしてビビッているAを更にあおるのでした。 成田から名古屋へ電車で帰る不便さを一度経験している私は、ピッツバーグ⇒ワシントン・ダレス⇒成田⇒名古屋と言う便を選び、名古屋で直接入国です。便利よぉ〜。しかし、私は日本人なので日本人ラインでスムーズに入国したのに対し、Aはアメリカ人。しかもパスポートだけを持たせて外国人ラインに並ばせてしまったものだから、チケットは当然私が持っている...ベルトに乗ってクルクル回る荷物を全て引き摺り下ろし、カートに乗せ終わった時点でも未だ現れないAを不審に思った私は、入国審査の列を覗いてみたのですが...不審に思ったのは私だけでなく、入国審査官もだったようで(笑)、Aは帰りのチケットを持っていない(注:私が持ってた)のと、彼の英語が何故だか上手く入国審査官に通じないのとで、入国を拒否されかかっていたのでした(笑)。 何とか入国を済ませた我々は、迎えに来てくれた母の待つロビーへ。やぁっと名古屋に着きましたよ。とりあえず車に乗り込み、お家へ向かいます。時差ぼけ頭の2人はそのまま眠りに着くのですが、夜中に母に怒鳴り込まれました...「何で一緒に寝てるの?」だぁってぇ、一緒に住んでたの知ってるじゃん...??? とりあえず気を取り直して、観光旅行の始まりです。まずは花のお江戸、東京。車に乗り込み夜中に出発すると、東京に着くのは丁度明け方...と言う訳で築地の魚市場へ直行です。ここは私もずっと行きたかった所で、ドライアイスの様に白い煙を立ち上げながらゴロゴロ転がるマグロの間をすり抜けながら写真を撮り、そのマグロを運搬するドラム缶の様な乗り物に轢かれそうになり(笑:マジ怖いです、これは)、意味不明の言葉を発する(あれは日本語では無いっ)競りのおじさん達もパチリ。オマケに市場でマンボウの刺し身を試食させてもらい、色々な『新鮮お魚』を購入し一路新宿へ。新宿高田馬場には母の叔母が住んでいるのです。そこで朝食を頂き、東京見物へ出発進行っ!! 高田馬場で営団地下鉄の一日乗車券を購入し、上野動物園、上野公園、アメ横、皇居、原宿、渋谷etc. ガイジン連れてるのを良い事に、「東京」とデカデカと書かれたガイドブックを片手に(笑)、周れるだけ周りましたよぉ。 そうそう、朝日新聞ビルも行きました。AP通信の事務所があるので、そこを見学させてもらったんですね。 新宿に着く頃にはもう「足は棒」状態...そのまま母の運転で再び車に乗り込み、今度は軽井沢へと向かったのでした。 良く行く場所と言うのは、観光を殆どしないモノで、来客が来た時に始めて行く場所と言うのも数多く有ります。軽井沢では『三笠ホテル』など、そんな観光をチョロチョロとし、プリンス・ゲレンデでスキーまで楽しんで、オマケに草津へ足を延ばし、『西河原(さいのかわら)から温泉』で露天風呂に入ると言う、なんとも日本三昧してるじゃぁございませんか。 今回の旅は1ヶ月の予定なので、かなり余裕あり。名古屋でも定番の名古屋城・テレビ塔コースを周り、東山動物園にも足を延ばし、私の卒業していない(笑)高校では、生徒指導の怖い先生に(彼は何故か私を気に入ってくれていたので)学校ツアー、更に弓道までやらせてもらい、なんとも近場でもかなりの充実観光をしていました。 その後も、女人高野山で有名な、奈良のシブイ『室生寺』や『法隆寺』、『東大寺』、更には京都に迄足を延ばし、『伏見稲荷』や『金閣』、『銀閣』、『龍安寺』などなど、車中泊の旅はドンドン続くのでした。 さてさて、私達が東京見物をしていた2週間後、例の『地下鉄サリン事件』が勃発しました。 築地にも行っていた私達は改めてゾゾゾぉ〜...タイミングがずれて良かったよかった。 更にAは私のルームメイトMの友人に引き連れられ、我々の日本訪問の1〜2ヶ月程前に起こった『阪神大震災』の写真を撮りに行きました。私は私で、姉の2人目の子供の出産に、分娩室まで立ち会い写真撮影をし、その撮影のあと、親友のNの大学の卒業式へと向かったのでした。そして何故か彼女の大学の卒業アルバムの「卒業式の写真」のページに写ってしまっている私(笑)。 そんなこんなで、我々の1ヶ月日本訪問は、あっと言う間に終わってしまい、ビザを書き換えた私も無事にアメリカへ戻るのでした... 帰りの飛行機を待つ間、我々の側におかれた一つのトランク...「あれってヤバくない?」などと言っていたら(『地下鉄サリン』に完全に感化されている)、只の手荷物だった。だって、アメリカじゃ誰もトイレに行くのに荷物を置き去りにしないでしょう?(注:盗まれてしまいます。) チェックイン後に貰ったチケットを見て更に不審に思う2人。何故か席番号がスゴク若いのね。どうもオーバーブッキング続出らしく、何と我々は名古屋⇔成田間をファーストクラスで、成田⇔ワシントン・ダレス間をビジネスクラスで飛んでしまったのでした...持ってたチケットは一番安いエコノミー格安航空券だったのにね。ツアーの新婚さん達、すみませんねぇ。 |