就職活動と言うのは、どこでやっても嫌なものである。履歴書を書いて、電話をかけて、面接に行って...3月の終わりに卒業してすぐに母と旅行に行って、それから4月と5月の丸2ヶ月間を遊び暮していた私は、6月になる直前、やっと重たいお尻を上げたのでした。
既にご存知の通り、AIPは専門学校(=職業訓練校)なので、卒業したての人々には仕事をドンドン斡旋します。卒業する前から紹介等は色々あるのですが、勝手に「ノンビリしたぁ〜い」等と言っていた私は、就職活動もノンビリ。いいのかね、こんなんで。 F−1ビザで大学に通っていた学生は、一生に一度だけ、1年間アメリカの社会で働く機会を与えられる『プラクティカル・トレーニング・ビザ』と言うビザがもらえます。最近は取得も郵送等で時間がかかり大変だそうですが、私の時はまだINS(移民局)に直接出向いて行けばその場でもらえると言う制度でした。問題はAIPの担当者。経験も浅くなんにも解っていない彼女は書類の記入場所を間違え、他にも間違いを数箇所で犯し、私はAIPと移民局の間を3往復した挙げ句殆ど泣き落としでPTビザを手に入れたのです。このビザで働いている間にH1―B等の就労ビザを申請してそれを取得出来れば、最長で後6年間働けます。ここは、どれだけ良い就職口を見付けられるかどうかが正念場なのです。 ビザを手に入れた所で求人情報や紹介も色々入手して、就職活動を始めたのは良いのですが、やはりネックになるのはビザの問題。どこへ面接に行ってもまず言われるのが「グリーンカードは持ってる?」の一言。これが出ると大抵は「あぁ、又駄目だぁ」と言う事になります。つっかれちゃうのよね。 それでも執念深く履歴書を送り続け面接に通い続けた結果、私はとある小さなT & C Studioと言うスタジオ(と呼ぶより「写真館」と呼んだ方が合ってる)のオーナーに気に入られ、あっさりと採用されてしまったのでした。 ほんとにこの人達はビザ取得の大変さを解っていたのだろうか? 不安です。 ちなみにこの時の給料は時給6ドルでした。大した給料では無い。結婚式の日は時給10ドル。それでもねぇ。こんな給料でやっていけたのも、ひとえに安い家賃とルームメイトのおかげでしょうか? この頃の私は床に敷いた布団に寝るのが嫌でベッドを購入し、しかも貯金までしてたんですから。素晴らしい物価安です(笑)。 初出勤は独立記念日直後の7月の頭。このスタジオはダウンタウンの反対方向にあり、車が無いとかなり通い辛い場所にあったのですが、ターセル君のおかげで通勤時間は約10分。しかも行きも帰りも通勤ラッシュとは反対方向なのでスイスイ進みます。 このスタジオはポートレート(肖像)を主とした写真館で、土曜日には結婚式があります。近隣の高校とも専属契約をしており、「モデリングの巻」でお話した様なシニアピクチャーも、全校生徒を扱うので、大変な量です。この契約している高校と言うのが、ピッツバーグでも有数のお金持ち地域にある高校で、写真を取られに来る高校生も何だかヤッピーな感じがしたモノでした。だって、免許取りたての高校生がジープの新車に乗ってたりするのよ。私の想像を遥かに越えています。 そんな訳で、お客さんも金持ち層が多く、誕生日等で親族大集合をするとカメラマンを100km以上離れた山荘に呼び付けて、親族全員の集合写真や家族毎の写真を撮らせるピッツバーグで1、2を争うD家などなど。結婚式も派手派手しいのが多く、とにかく世間体を気にした見栄の張り合いの様な結婚式に多く出席したものです。綺麗なんだけどね。でも、両家で「金持ち度」を争うのはよしましょうよ。 しかも金持ちの結婚式ではカメラマンは大抵御飯を食べられません。と言うのも、一皿一皿の価格が高いので、カメラマンの分まで払いたくないからなのね。そこまでケチじゃないとお金持ちにはなれない様です。だから、庶民の結婚式ではお腹イッパイ御飯を食べさせてくれるケース続出です。 やっと見付けた就職口ですが、私はここを10月半ばに去る事になります。理由は何とセクハラ(笑)!! ロケに行った時に「裸になってモデルしろ」なんて言われちゃったのよね。「奥さんに頼めばぁ?!」って言っちゃいましたけど。 それからも暫くは働いてたんですけど、オーナー一人、従業員一人ですから、一緒にいると嫌になって来ちゃうんですよね、そう言う事があった後では特に。 そんな訳でオーナーの奥さんにやめる理由とスタジオの鍵を送り付けて10月にT & C Studioを去った私は、再び職探しの旅に出るのですが、暫くはフリーランサーの道を歩む事になってしまったのでした。 |