そんなこんなで、やっとAIPから卒業します...長かったなぁ。(私の話が長かったよ) 実際には丸2年かかるんですけどね。8人で始まった写真科の私のクラス、メンバーが抜けたり増えたり、入れ替わりしながら、結局は再び8人での卒業式でした。だけどオリジナル・メンバーは私と、今も友達のアンディーのみ(笑)。前年の夏に旅行の為に渡米した母も再び、今度は一人で私の卒業式に出席する為にやって来ました。 AIPは生徒数の割には建物自体はとても小さくて細長いので、勿論普通の学校のように講堂等はありません。従って卒業式は学校以外の大きなホールが使われる事になります。何と言ってもアート系の専門学校ですから、卒業式は自分の作品発表会と、人材を探しに来る会社やスタジオの人達へのプレゼンテーションの場となります。。私の卒業式はダウンタンの外れのコンベンション・センターで行われました。 朝から作品と展示用のボード(コイツがデカいんだまた...)等を抱えて会場へ行き飾り付けをします。飾り付けが終わると家へ帰ってスーツなどキチンとした格好に着替えて会社関連の人が入場する時間迄に会場にスタンバイします。皆、自分の作品が最高に見える様に思い思いの飾り付けをして、机の上には趣向を凝らした履歴書(ちなみに私のはカラーで二つ折りの写真入りだった)やオリジナルの名刺、意見・感想を書く為のノート等が置かれています。この時会社関連の人は、気に入った人があれば別室で面接をする事も可能なので、これは一種の就職フェアみたいな物ですね。 会社関連の人々の閲覧が終わると今度は一般の人が入場します。母を始め、ミードビルのホストファミリー、ボーイフレンドA君のファミリー等々、なんとも沢山の人々が私の為に集まってくれました。 既にお分かりの通りAIPは専門学校なので、卒業式ではガウンと角帽と言った格好ではありません(最近は着てるみたいですけどね)。従って皆、思い思いの『ドレス・アップ』をして臨みます。そして卒業証書授与の時が訪れ、写真科ディレクターには不幸が舞い下りるのでした。 と言うのもAIPの写真科、卒業式の時にディレクターにプレゼントを渡すと言うのが伝統の行事なのですが、これは勿論普通のプレゼントでは済みません。私みた限りでは、キャンディー・ネックレス(子供用のラムネの様なお菓子がゴムひもに通されている物。腕はともかく首には結構キツイ。)を首にドンドンかけていったり、ベビーフードをあげると言うもの。しかぁ〜し、私はケージで働いていた事もありディレクターのスティーブとかなり親しかったので、クラスの皆と相談し素晴らしい計画を立てたのです。 まずケージのウェインから、スティーブはラッキー・ストライクを好んで吸い、そしてキャロット・ジュースを毎朝飲むと言う情報をゲット。と言う訳で、葉っぱの着いたニンジン一束とラッキー・ストライクを1カートン入手し、卒業式が始まる前に皆でそれらにガムテープを付けました。卒業証書はそれぞれの科のディレクターが渡すのです。証書をもらう為に並んだ私達の後ろ手にはガムテープが巻かれたラッキーとニンジンが...一人一人証書をもらう前にラッキーとニンジンをディレクター・スティーブの背広にペタペタと付けていったのでしたっ(笑)。会場も私達自身も大ウケで、付けられる方も笑うしか無いですよねぇ。特に可愛がって頂いた私はタバコとニンジンで溢れた背広を着たスティーブから大きなHUGを頂き、酔っ払って駆けつけたジャーナリズムの先生バリーとその友達リッチ、そして出席してくれた家族や友人一同にデカイ声で名前を呼ばれ、高校の時よりも数段楽しい卒業式を経験したのです。 卒業式も無事終わり、「皆で食事に行こうっ」と言う事になりました。集まったのは親族・友人合わせてなんと21人。アメリカのチェーン店系のレストランと言うのは誕生日やイベントの際にケーキをサービス出してくれる所が結構あります。卒業式にかこつけて、スパゲティー専門店に21人で繰り出した私達。かなりの盛り上がりの後、直径20センチ程のケーキを私は見事に21のピースに切り分け、皆さんで頂いたのでした。 沢山の家族や友人にお祝いしてもらって無事にAIPを卒業した私。しかし「これだけ頑張ったんだから、2・3ヶ月位ノンビリしたいよねぇ」などと、本当にノンビリと就職活動もせずに居た私。この先どうなるのでしょうか...? でも、就職の心配よりもその前に、母との旅行第2弾が私を待ち受けていたのでした。ハプニング続出の旅行は次回でお楽しみ頂きたいと思います.... |