レトロスペクト・アメリカ


Vol. 22 ルームメイト(複数形)」 の巻


私がピッツバーグへ旅立った日に、火花の散った車に同乗していた高校の同級生のM。それからも結構手紙や電話をくれていました。彼女も「アメリカへ来たい」と言う思いを実現させようと、車のなかった私は歩いてピッツバーグ中に点在する大学や専門学校を訪ねてパンフレットを彼女に送りまくります。トラベル・エージェントになる為の専門学校を選んだM、'93の夏ピッツバーグにやって来ました。

空港へ迎えに行った私を見たMはチョットびっくり。彼女は1ヶ月程前に日本を出国しており、その間旅行をして周っていたので、丁度彼女が日本を発つ頃に私が付き合い出した当時のボーイフレンドAの存在を知らなかったんですね。彼もこの話に出てきますが、詳しい事は別の回に書きましょう。と言う訳で、ピッツバーグに来たM、いきなり私の『ヘンな友人&先生』に囲まれ少しビビる。(無理も無い。)

旅行をするので友達と共にやってきたMの為に、私とA、友達1人とその彼女はパーティーを開きます。御飯を作ってビールを買って来て。TVを観たりおしゃべりしたり、記念撮影したりの大騒ぎ。あげくM、私、A、友達の4人は裏のお墓に散歩に行きます。何を考えてるんだか? 私と彼は先に戻ってきたのですが、残る2人は何と外でキスしてたらしい!?...どうして初対面でそうかなぁ? その頃の私には、これはイマイチ理解出来ない行動だったのです。しかしこの2人、色々トラブルに巻き込まれつつも、今やめでたく結婚し、現在は二人の息子と4人、名古屋でシアワセに暮しております。あぁ、メデタイ!!

Mさんは合計1年と8ヶ月私と暮しました。前のルームメイトよりも格段上手く行ったのは、やっぱり彼女が日本人だからなのでしょうか...? その前に「同級生だったのでお互い3年以上知っている」と言う事実もありますが。2人ともドアの閉まる自分の部屋があったので、お互いのへやには極力入りませんでしたが、キッチンには机と椅子が置いてあったのでそこで夜を語り明かしたものです。

私も経験がありますが、外国に住んでその国の言葉をメインに使っていると、初期の頃は特に自分の国の言葉がおかしくなる事が良くあります。Mさんも例に漏れず、英語がだんだん上達しつつ、日本語がハチャメチャになりつつあると言う道を辿りつつあり、先にそのステージをクリアしていた私は彼女の口から飛び出すチンプンカンプンな日本語に腹を抱えて笑う日々だったのです。あれはね、英語にある程度慣れた時点で日本語を多く使い出すと治るんですよ。両方ともそれなりにまともに使えるようになる。でも、英語に慣れた所で日本語を使わなくなってしまうと、チョット困った事になります。現在アメリカに住んでいるオバァチャン達が良い例です。「あなたはね」と言わずに、「ユーはね。」と言うようになってしまうのだ。ここまで来るとチョット危険。危機を感じたら日本語の勉強をする事をお勧めします....と言う訳で、私達のキッチンには『Mの珍語録』なる紙が貼ってあり、彼女が面白い事を言うたびに私はその紙にドンドン追加していったのでした。

私達は学校は違えども、2校ともダウンタウンにあったので、登校は一緒にする事が多い日々でした。買い物もいっしょで遊びに行くのも殆ど一緒。と言うのは、私がMさんをAIPの友達に先に紹介してしまったのと、Mの学校の人達は結構スノッブな人が多かったらしいので彼女と余り合わなかったからだと思われます。加えて始めの夜にキスをしてしまったCと私の彼のAは親友と来ているので、そりゃぁもう、当然いっつも一緒でしょう。

いつも一緒と言うのは、慣れて来るのでお互い気心が知れていて気楽な点も多いのですが、逆に近寄り過ぎてうっとぉしくなる事もしばしばあります。そういう時になまじっか仲が良いと、言いたい事を言い過ぎちゃったりするのよね。人間、色々あるんです。

ここでこの回のタイトルの(複数形)の箇所の意味が判明する訳です。私とMはルームメイト。で、CとAは親友同士で、2人と2人は恋人同士....私のルームメイトは1人で、私の部屋に住む人間は1人だけだった筈なのに、何とアパートの住人は一気に4人に増加してしまったんですねぇ。C、Aは必ず毎日いると言う訳ではなく、自分たちのアパートも持っているので当然私達に家賃を払う訳でもなく...それなら「4人で一緒に居ずに、カップルで2人づつ、それぞれのアパートを持てばよかったのになぁ」と、今となっては思う訳です。

ま、そんなコミューン状態の共同生活ですから、喧嘩をする時はスゴイったら。お互いとばっちりが行きますからね。でも、特に最悪の状態に陥る事も無く、何とか20ヶ月のMさんとの生活は過ぎて行くのでした。



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