レトロスペクト・アメリカ


Vol. 21 車と免許の話」 の巻


車と車の免許は、アメリカで暮すには殆ど必需品と言っても過言では無いアイテムだと思います。NYCやその他大都市で公共の交通手段が極端に発達している場所では車はかえって邪魔でしょうが...

私は運転免許をアメリカの高校へ行った年に取得しました。高校在学中は時間が無かったのと、その他諸々の事情で取得する事が出来なかったので、卒業した後すぐに取ったのです。しかし、時間は迫る...なんとも時間が無いので、学校と契約もしている自動車運転教育の先生に予約して、何と超スピードの1週間で取得してしまいましたっ!!

ペンシルベニア州の運転免許取得には当時27ドルかかりました。それに教習代を併せて全部で約100ドル。なんとも安いではありませんか。まず健康診断を受けて健康状態に異常が無い事を証明し、身分証明書を持って試験場へ行きます。最初は筆記試験です。これは何と○×選択が10問と、モニターを見ながら標識の意味を口頭で答える質問が約15問。選択の方は7問正解なら合格。モニターの方は何問だったっけなぁ? とにかくこれに合格すると仮免がもらえます。そして1週間、運転免許を持っている人が同乗した保険に入っている車なら運転可能になります。これで運転技術を磨くのです。私の先生、ミスター・ローレンスは黒人のとても気の良いおじさんでした。彼や私の家族の車で一週間練習した後、本番に臨みます。全く無謀な奴です。なぜなら普通は最低2週間は練習をするからです。しか〜し、私は何と1週間の練習で見事合格!! 要するにテスト自体が簡単なのよ、きっと。 合格を報告した私に、ミスター。ローレンスは大きなHUGをくれました。ちなみに、オートマチックで免許取得しても、マニュアルでの運転も可能です。

しか〜し、左ハンドルで取得した免許は右側通行だから上手く働くわけで、左側通行の右ハンドルだと、結構混乱してしまうんですねぇ。免許を取得後日本へ帰った私は、母に「いいよぉ、運転させてよぉ」とせがみ運転席に乗り込むのですが、走り出すなり右側車線へブゥ〜ンと行ってしまい、あげくワイパーとウィンカーも逆に付いているので間違え、散々怒られたのでした。 その昔は、外国で取った免許は日本の免許に書き換える事が可能だったのですが、私が帰国した年、タイミング良く法律が変わり、私の免許は日本の免許に替える事が出来なくなってしまったのです。そんな訳で、未だに私はアメリカの免許と国際免許を使って運転しています。(免許取るのに30万円もかけたくなぁ〜いっ!!)

私が初めて自分の物として手に入れたのは、『ターセル君』でした。これは '83型のトヨタ車で、93年初頭、車の買い替えを決意した大家さんから500ドルで譲ってもらったものです。ターセル君は見た目はボロでしたが、大変良く走ってくれました。しかし、彼はマニュアル車だったっ!!オートマチックで免許を取り、その後もオートマしか運転した事のなかった私は急遽『大家さんのマニュアル車教習所』に通う事になります。もう、最初はガックンガックン言うばかりで大変でしたがすぐに何とかなり、それからはずぅ〜っとマニュアル車に乗っている私です。

このターセル君には96年の夏までお世話になりました。通学・通勤は勿論、ショッピングやキャンプ、ワシントンDCやナイアガラなどの長距離ドライブに加えて、帰省の為のミードビル〜ピッツバーグ間、オハイオ〜ピッツバーグ間を幾度と無く往復し、私の足となってくれたのです。彼はさすがに古いだけあって、故障も数知れず。マフラー、ブレーキ、バッテリー、クラッチ、オルタネーターetc.と、結構な移植をくり返し3年半も過酷な使用状況に耐えて私の足となってくれたのです。

次に登場するのは『スバル君』。彼は私の知り合いの日本人が所有していた '87型のスバル車で、彼等が日本に帰国する際、ターセル君の寿命をそろそろ感じていた私が売ってもらったのです。最初の提示価格は300ドル。それだけでも安いのですが、更に「クーラー壊れちゃったのよねぇ」と100ドルまで下がってしまった、超破格のお値打ちな車だったのでした。彼もマニュアル車です。このスバル君に自分で買ってきたステレオを自分で取りつけ、長距離ドライブでもラジカセと電池を携帯する必要もなくなり、私の旅は更にエスカレートして、帰省は勿論、NYCや果てはフロリダ(米国)最南端のキー・ウェストまで往復してしまうのです。

スバル君がお亡くなりになったのは '97の初頭、まだ寒い冬の事でした。死因はエンジンの焼き付き。貧乏人がオイルを替えるのを怠るとこうなってしまうんですねぇ...しくしく。仕方が無いので私は『Goo』の様な雑誌で車を探し、その頃は既に働いていたので「今度は普通の値段の古くない車を買おう」と心に決めて、かねてから欲しかったいすゞのトゥルーパー(日本名はビッグホーン)を購入したのでした。 '91型で、父ビルに見てもらっても全く支障は無く、個人から購入したのでお値段は5,800ドルでした。高いと言えば高いよね。今迄が安すぎるから。でもこの『スージー』(いすゞ車なのでスージーと呼んでたのよ)、私と母を乗せてアメリカ大陸横断を2回果たし、更に引越し車、輸送車としての役割も楽々こなし、私の日本帰国後に友人が運転している最中に横風で横転してお亡くなりになるまで、とっても頑張って働いてくれたのでした。ちなみに、友人は任意保険をかけていたので(タダで貸し出す替りに私が無理矢理かけさせていたので)横転の末廃車になっても、保険が5,000ドルも戻って来た私は「ま、元は取れてんじゃん!」と妙に楽天的なのでした。



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