さてさて、散々ルームメイトともめていたワタシは、フラン先生の所に相談にあがります。私の話を聞いたフランは「今夜7時頃家に電話しなさい。」と一言。何のことやら??
言われるままに電話をして見ると、自分の家の向かいの人が部屋を借りる人を探しているので、その番号に電話しなさい、と言う事。良く考えて見ると「こんな子が部屋を探しているんだけど、どうかねぇ」と既に話を付けていた様子。早速本人に電話を入れ、その週の内に下見と面接を兼ねて訪問する事に。
秋も深まる1992年10月末、カエデ並木も色づき、素敵な家の立ち並ぶ通りでバスを降りた私は、その通りの突き当たりにあるロッツティーン家を訪ねたのでした。待っていたのはマケンジーさん。そしてスティーブンとレズリーという生後7ヶ月の二卵性双生児。マケンジーは私をアパートになっている彼女の家の3階へ案内してくれ、色々説明を受けたり話をした結果、11月の頭から急遽入る事になったのです。余談ですが、彼等はとても親切な大家さんで、礼金、保証金は勿論、リースも無し。「さすが先生の紹介は違うな」とまで思ってしまったものでした。 11月というとまだ3学期の半ばでしたが、私はルームメイトのドーンに引っ越す事を決めた事を告げます。そして再び引越しです。この時もTとCに手伝ってもらいました。今回は前回の様に1度で終わりと言う訳には行きませんでしたけどね。人間、半年で色んな物を集められるのです。そんな荷物を全て詰め込んでもなお、かなりガランとした広い部屋で一人、ホっと胸をなで下ろしたワタシでした。 このアパートに私は計4年と1ヶ月住む事になります。ここは最初に一人で住み始めた時は一ヶ月$300で電気・水道・ガス・そして洗濯まで込みの素晴らしい物件でした。3年経って値上がりしても$325。なんて親切なんでしょう。電話は自分で引かなければいけませんでしたが、他の光熱費や洗濯代を気にしなくても良いと言うのはとっても便利です。サウスサイドに住んでいた時は、M-Townの家族が2週間に1度はわざわざ迎えに来てくれていたので、洗濯は殆どそこでしていました。それかコインランドリー。コインランドリーと言うのは、行った事のある日とは分かると思いますが、あれが終わるのを待っているのって、とっても退屈でイライラするんですよね。アレゲニーセンターの時は各階に洗濯室があって、そこで洗濯していたのですが、その時私達3人のルームメイトは25¢コインに糸を付けてタダで洗濯をするという軽犯罪を犯していたものでした(笑)。くれぐれも真似しないように。そんな訳で、洗濯の楽な家に引っ越した私は、時にはお蒲団や枕まで洗濯するようになったのです。 この家はポイントブリーズと言う地区にあり、そこはピッツバーグでも有数の豪邸が建ち並ぶ、それは素敵な地域でした。それ故にスーパーマーケット等は車が無いと結構遠く、それはそれで不便でしたが...通学は当然バスでと言う事になります。4学期の終わり頃には私は車を入手するのですが、それまでは結構な不便さにも、住み心地の良さに紛らわされて気持ち良く暮したモノでした。家の裏はピッツバーグ市内1、2の広さを誇る墓地で、最初の頃は少し脅えたりもしましたが、ここは昼間散歩をするにはとても気持ちの良いスペースなのです。 大家さんのゲリー・ロッツティーン&マケンジー・カーペンター夫妻は、30代後半のかなりのインテリで、彼等は2人ともピッツバーグ・ポスト・ガゼットと言うピッツバーグの大新聞社の記者です。私がAIPに入学した頃は、ピッツバーグには『ピッツバーグ・プレス』と『ピッツバーグ・ポスト・ガゼット』の2社があったのですが、ストライキの結果ポスト・ガゼット一社になってしまったのです。そんな訳で、残った新聞社に居れた二人は優秀かつラッキーなのだと思われます。余談ですが、マケンジーの家族はかなりのインテリ/有名人家族らしく、彼女の父はかのライフマガジンのアジア地域の編集長でしたし、彼女の妹はカントリーミュージックではかなり有名な(ビルボードやアカデミー賞等にも出ています)シンガー、メアリー・チェイピン・カーペンターです。 3学期も終わった12月半ば、ビザの切換えが上手く行かない私は日本へ一時帰国します。3学期最後の日。その日は昼頃から雪が降り始め、夜までには既に20センチほど積ってしまいました。本当はT&C夫妻が迎えに来てくれる筈だったのですが、彼等の住んでいる地域は更に雪がヒドイらしく、「来れない」との事。困ったなぁ。バスで行こうかどうか悩んでいると、マケンジーがダウンタンまで車で送ってくれる事になりました。しかし、毎年雪の沢山降るピッツバーグの除雪作業はかなり早く、ダウンタウンまで行ったマケンジーは「空港まで送って行ってあげるわよ」と親切にも本当に空港まで行ってくれたのでした。飛ぶかどうか不安だった飛行機も無事に飛び、日本へ無事帰り着いた私は、東京でビザを書き換え、10日間の滞在の後、日本の親友を引き連れアメリカへ舞い戻ったのでした。 この年の冬休みは例年に無く4週間、私の友人Nちゃん(今後も良く登場するので宜しく)は何故か厳寒のピッツバーグへ迄も訪ねてきてくれる、とても素敵なお友達なのでした。 |