6月に1学期が終わり私の引越しも済んで2日後に、母と東京の叔母(母方の祖母の妹)がアメリカに遊びに来ました。私が最初に渡米した時に一緒に来られなかったからです。目的は高校の時にお世話になったホストファミリーに会う事と、そしてとにかく観光。引越しも手伝ってもらったティナに空港まで車で乗せていってもらい、そこで予約してあったレンタカーを借ります。彼女たちが着いた時には既に夜の夜中だったので、その日はとりあえず帰宅です。それにしても、高校の時に免許を取って以来、そう何度も運転をしていた訳では無い私。同乗していた2人はトッテモ不安だったと思われます。
一通りピッツバーグを観光し、M-Townの家族にも挨拶を済ませバアチャンの家でラザニア等をたらふくごちそうになった後、一行はナイアガラの滝へと向かいます。そしてユースホステルに泊る不思議な3世代一行。この時私のビザは未だ観光ビザから学生ビザへと切り替わってはおらず(お役所ですから。やる事が遅い)、カナダ側へ行けない私をアメリカ側へ残した英語を話せない2人組はカナダへ橋を歩いて渡って行ったのでした。 私は近く(と言っても車で3時間もしくは5時間かかるけど、でも他の地域の人と比べれば近いですね。)に住んでいた為、ナイアガラへは友人や知り合いが来る度に足を延ばしており、これまでに全部で7回も行っています。初めてナイアガラへ行ったのは高校の時ですが、その時の印象は『ちゃっちい』。と言うのも、柵や見晴台などが完備されており、周りは土産物屋や怪しげな蝋人形の館等で埋め尽くされていたからです。しかもゴールデンウィークと重なっていた為、辺り一面見渡す限りの日本人。これではゲンナリしますよぉ。 とにかく母と叔母はナイアガラ観光を済ませ、私達はバッファロー,NYでレンタカーを乗り捨て飛行機でシカゴに向かいます。シカゴから車で3時間程のシャンペインと言う街に叔母が修士号を取ったイリノイ大学があるからです。空港に着き、余り訳も分からず迎えに来た車に乗り込む3人は、シカゴの街を横目に3時間トウモロコシ畑の中を走るのでした。そして着いた所はイリノイ州ギルマンと言う、人口わずか180人余りの小さな街です。ここのクーパーさんと言うお宅に叔母がホームステイしていた事があるのでした。私達の訪問の直前、クーパーさんのお母さんは老衰で亡くなっており、娘さんが私達の世話をしてくれました。彼女の名前はなんと、アリス・クーパー!! 初めて聞いた時はチョットぶっ飛びましたね。ギルマンとシャンペインを2日半かけて観光+思い出巡りした後、私達は同じ車に乗り込み、再びシカゴから飛行機に乗り込みます。行き先はボストン。 ボストンの空港からはダウンタウンまで地下鉄が伸びています。私達は地図を頼りにダウンタウンの一角にあるユースホステルへ向かいます。予約が入れてあったにもかかわらず、手際の悪い受け付けは、あげく私達を喫煙室に泊めようとしますが、頭に来た私の「絶対予約したっ!!」という主張に向こうも手違いを認め、我々は何とか普通の部屋に泊る事が出来たのでした。ボストンでは夜も食事の為に少し歩き回りましたが、翌日は午後2時まで、途中下車可能なトローリーのチケットを購入し、ボストンを短縮観光したのでした。そして超短期間の滞在後、アムトラックは私達を乗せて一路NYCへ!! ...と言っても2時間半位で着くんですけどね。 NYCでは私の高校1年の時の同級生が一行を待っていました。彼女は父親の転勤で、高校2年の夏からNYC近郊のRyeと言う街に住んで居たのです。彼女の案内でロックフェラーセンター、チャイナタウン、自由の女神などの観光をし、散々歩き回ったあげく、母と私は足の疲れた叔母を宿へ残し夜のエンパイア・ステイト・ビルへと繰り出すのでした。中身のとても濃い筈のNYC、この時の訪問は私にとっては余り印象深くない、チョット勿体無い旅になったのでした。2泊の後、私達一行はクイーンズ区にあるラガーディア空港から、今度はサンディエゴへと飛び立ったのでした。 サンディエゴ空港へは、私の初めてのホストファミリー、DeWitt一家がお迎えに来てくれていました。今夜から2晩、彼等の家にお世話になります。レンタカーを借り、とりあえず懐かしい道を通ってSantee市へ。HenryもShirleyも変わっていませんが、さすがに子供たちは大きくなっています。しかも私がお世話になった時にはまだお腹の中にいたジェニーもその当時3歳。彼等の驚きは、私が英語で会話が出来る事。レンタカーでサンディエゴを観光して皆でレストランで食事をし、少し大きくなったHeidiと夜を語り明かし、そして翌日、私達は再びサンディエゴ空港へ向かいます。今度の目的地は、最終目的地のサンフランシスコです。 サンフランシスコと言う土地には私は一人も友達がいません。しかし、叔母の教え子(彼女は東京の私立の女子中学校の校長をしていたんですね)の韓国人の桂(ケイ)さん夫婦がそこで私達を待っておりました。彼等の家はサンフランシスコでも高級住宅街のゲアリーアベニューにあります。そんな人々に連れられ、私達はチャイナタウン、Pier49、ソーサリート、ツインピークス、ケーブルカー、いろは坂など、色々な観光地へ連れていってもらい、本場韓国の焼肉をごちそうになり、観光地ながら桂さん宅から歩いて行けるシールロックへ散歩するなど、残り少なくなった旅行の日々を満喫したのでした。 桂さん宅に2泊させて頂いたのち、母と叔母はサンフランシスコ空港から日本へ。私はピッツバーグへと戻り、2学期が始まるや否や、この旅行で50本も撮りためた白黒フィルムを毎日7時まで残って現像したのでした。それにしても、こんな慌ただしい旅行ってどうよ ??! |