高校交換留学を終え帰国した私は、アルバイトに没頭します。高校はどうしたのかって?
私の通っていた県立高校は、結構新しく、校則も厳しく、それ故に私が登校拒否をしていたわけですが...学校によっては、公立でもアメリカで取った単位を認めて卒業させてくれるんですよね。で、母と二人で話をしに行った私。校長室に通され、でも話をしたのは教頭先生。で、言われたセリフは「前例が無いのでもう一度3年生をやってもらわないと...」フザケルナァっ!?
母と私は顔を見合わせ「どうする? やめる? やめちゃおっか?」と、こんな簡単に私の日ほんの高校退学は決まった訳です。ですから、私は日本の高校は中退扱いなんですねぇ。
まず最初は軽井沢のセブンイレブンで、早朝6時から正午までのバイト。帰国したのは勿論夏なので、ここでバイトをしていたのも勿論夏休み。夏休みの軽井沢と言うのは「お前ら、もぅ来るなっっ!!」と言いたくなるほど人がイッパイです。今では春や秋、そしてスキーをしに冬にも観光客がいますが、その当時は今から約8年前、夏が最盛期でした。テニスの合宿だか、ペンションに御泊りだか、とにかく団体でセブンイレブンに入って来て、1万円以上買い物をすると言う、異様な光景に毎日出くわしておりました。だって、コンビニで1万円って、普通じゃナイ。スーパーがちゃんとあるのになぁ。セブンイレブンのオーナーとしてはバン万歳だったんだろうけど。ここは結構ナイスなバイトで、早朝は給料がかなり良いのに加え、昼に帰る時、期限切れの弁当etc.があると御持ち帰りさせてもらえるんですね。おいしい。 自分で稼いだ10万円以上の大金をゲンナマで初めて手にし、喜び勇んだ私は名古屋に帰ります。それからはプロのカメラマンが使う富士フィルム直営の現像所と母の知り合いのスナックを掛け持ちして働き、19歳にしてはかなり高額の月収20〜25万を記録し、その殆どを貯金しておりました。 そうそう、「日本脱出パート2」の話でした。いけない、いけない、バイトの話に夢中になってしまった... 行きたい学校は既に決めてありました。帰国する前から。高校の写真のクラスにハマッた私は、M-Townからk流迄2時間ほどの中規模都市ピッツバーグにあるアート系の専門学校、アート・インスティチュート・オブ・ピッツバーグ(通称AIP)に見学に行きます。そこで私が見た物は、白黒用暗室に並ぶ50台の引き伸ばし機、カラー暗室に並ぶ30台の引き伸ばし機、そしてスタジオ機材の数々でした。高校の引き伸ばし機3台の小っちゃな暗室とは大違いです。そこに足を踏み入れたその瞬間「この学校に来る!!」と心を決めたワタシでした。 普通、アメリカの大学に進学するには、TOEFLと言う英語力のテストを受け、ある程度の成績(AIPの基準は520点)を納めなければならないのですが、その頃には私の英語力もかなり上達し、会話などは殆ど不自由無く出来る様になっていたので、その時説明をしてくれたエリカという遠方の入学希望者係の人に「アナタは別にTOEFL受けなくても良いわよ」と言われ、内心"ラッキーっ!"と思いながら入学申請書類の数々を手にピッツバーグを後にしたのでした。 帰国した当初から、入学目標日は1992年3月に定めてありました。アメリカの大部分の大学は高校と同じく2期制なのですが、この学校は私立の専門学校とあって、4期制。オハイオ州の大学は皆4期制らしいですけどね。と言う訳で、目標を定めて貯金をしつつ、何とか入学手続き、最初の学期の支払い、航空チケットの手配などを済ませ、私の日本脱出計画パート2は着々と進行して行くのでした。 しか〜し、私の人生には必ずと言ってついて回るトラブル。これも宿命なのね...と言ってる場合ではなく、3月になってもビザの書類(F-1学生ビザ用のI-20フォーム)が来ないっ! 何度もエリカに電話をして確かめるのですが、「やっと来たぁ!」と思ったのは3月も終わりの週に入ってからでした。私の予定していた学期の始まりは3月30日だったので、航空チケットは既に29日着で取ってあります。しかも、留学手続きなどを一切業者にまかせなかった為に、ビザと言う物を『どのように取得するのか』と言う知識は殆ど無い訳です。そんな訳で、パスポートにビザのハンコが押されていないまま空港に向かった3月28日。更にトラブルは続きます。 私を見送りに来た友人3人。一人は中学1年からの友達で、後2人は高校の同級生です。問題は後者の内の1人の運転技術にありました。空港へ向かう道中、高速の脇を走っていると彼女はなんと、道路の右側の側溝に火花を散らしながらハマッたのです!! ハマルのは仕方ないけどさぁ、なんで左側通行なのに右側にハマルのよ? 彼女らには申し訳ないが、搭乗時刻の迫っている私達は空港へ急ぎます。そこで更にトラブル。 やはりI-20だけでは入国出来ないのよねぇ。ビザのハンコが無いと...これまた仕方が無い、以前もらってあった6ヶ月有効の観光ビザで急遽入国する事に。「チケット無駄には出来ないもんね。ビザは行ってしまえば何とかなるさ。」 ...と言う事で、やっとの思いで、再び日本からの脱出を図るべく、飛行機に乗り込んだ私だったのでした。 |