Vol.4でも書いたように、プロムと言うのはアメリカの高校へ通う2年、3年生にとっては卒業式よりもエキサイティングなイベントと言えると思います。何と言っても正装パーティー。1年を締めくくるのにこれよりふさわしい物は無いでしょう。
プロムの準備は、5月中頃の開催に向けて、2年生の生徒会メンバーを中心として、先生も一丸となって進められます。原則としてはその学校の2・3年生しか参加出来ないのですが、同伴者が他校の者や大学生、社会人、また1年生や中学生でも構わない訳です。基本的には3年生の為のイベントなので、2年生が頑張ってチケットを販売し、3年生は無料入場出来ます。 同伴者選びと言うのがこれまた大変。カップルで恋人がいる人などは問題無いのですが、相手のいない人は普通でも年が明けた頃から相手探しを始めます。プロムと言うのは別に『絶対に男と女のカップルで参加しなくてはいけない』と言うルールは無いので、女同士、男同士の友達と連れ立って参加するのも一向に構わない訳ですが、やっぱりここは一大イベント、異性の相手と参加したいじゃぁあ〜りませんか?! しかし、カップルにも危機がある!? 3月頃まで安心していたカップルも、突然喧嘩をしたり、何らかの理由で片方が「別の相手と行く」と言い出したり...恋の駆け引きとはなんともムズカシイものであります。 私などは、結構ノンビリしていたのですが、年が明ける頃、家のホストファミリーの母Sに「そろそろ相手を探さなくていいのぉ?」とせかされ、急に焦り出した次第です。私の友人であった、スペイン人の交換留学生テレサは、スペインを出る前から馬鹿に豪勢で高そうなドレスをあつらえてアメリカ入りしてますからね。 誰かさんとは違って、気合いが入っています。 いくらノンビリ者でも、やはり高校生。今より数段はカワイラシイと言うか、ウブな心を持っていた私です。(笑。本当かよ!?)いくら交換留学生で長い付き合いの友達も少ないとは言え、色々ときめきもあるわけですよ。それは、今考えればあくまでもときめきであって、恋では無いのだけど、「プロムの相手を探す」と言う使命に駆られているワタソ、この短期間で沢山のトキメキを感じた様です(笑)。 本来なら、プロムの申込みと言うのは男の方からしてもらうのがベストなんですよね。結婚のプロポーズと一緒で。でもね、世の中そう簡単に法則通りには行きません。そんな訳で、同じGYMのクラスのR君に胸をときめかせた私は、ガラにも無く照れ屋なので手紙でプロムのお伺いを立てます。しかし...一週間経っても返事をしてくれない。しびれを切らせた私はJと言う友人に頼んで「どうなってるの?」と聞いてもらいましたが、結果は×...もう既に相手が決まってたのよねぇ...シクシク。これは大変。更に焦り出した私はあげく投げやりになって「プロムなんか行かないよぉっ!」と母Sを困らせるのでした。 しかしメゲていてはいけない。私は更に、学校以外でも教会等で仲良くなったKにモーション(?)をかけて見るのでした。その結果が何と◎!! それ程そう言う事に興味が無い人らしく、相手もいなかったようなので、まぁお互いに「プロムに行けるヨン」程度のヤッタ〜なのでした。 それから大変な作業が始まりました。母に「行かない!!」等と宣言してしまった私は、ドレスの用意を全くしていなかったのです。既製のドレスを買う気にもなれず、「母のドレスを祖母が縫った」と言うのを聞いて母と2人、布を販売しているJoan Fabricと言う店に足を運びました。しかし選んだ布はオーソドックスな黒のサテン。で、ドレスの形を選び型紙を購入し、元ドレスメーカーである母方の祖母の家に向かいます。とにかく相手が決まったのはプロム当日の10日程前。一週間でドレスを縫わせた私に祖母が言った一言は「もう二度と黒いドレスは縫わないよ。目が痛くなる」でした。でも、有り難うおばぁちゃん!! 相手も決まり、ドレスも縫い上がりKのタキシードの色も決まって、私の手首と彼の胸に着けるお花もKが手配しました。後は当日を待つばかりです。 当日、親しい友人のCに髪を整えてもらい、ドレスを着込んで車で御迎えに来るKを待ちます。私の家と彼の家と、一緒に行く友人の家とで大撮影会を済ませた後、4人でしゃれたレストランに御食事に行き、その後すっかり飾り付けされた湖畔のプロム会場へ乗り付けました。そこは着飾った学校のクラスメイト達が楽しそうに踊り狂い、校長を始め先生一同もその雰囲気を楽しんでおり、やっとの思いでプロムに参加出来た私は「あ〜ホントに良かったよぉ」とホッと息をついたのでした。 |